MJK463ノート・最近の記事

2011年05月16日

『予言の書』の通りの現実になってしまった福島原発

20世紀少年という漫画に『予言の書』というものが出てくる。子どものころに草むらの中に作った秘密基地で主人公たちが描いた空想が、彼らが大人になったときにその予言の通りの惨事が次々に引き起こされるといった筋書き。その犯罪の首謀者は主人公の小学校の同窓生という展開。

この設定の子どものころというのは主人公が小学校の高学年で大阪万博のころのことだった。1970年に「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、戦後から完全に立ち直ったとする日本の象徴的なイベントだった。私もこの主人公たちと同様の時代を体験している。確か、美術の工作で、カラーのアルミ板を使って太陽の塔を作った記憶がある。ここでは20世紀少年のことを書こうとしている訳ではないけれど、自分の育ってきた昭和という時代、時間の中でさまざまなことが起きていて、それが現代に問題として顕在化してしまった要因となっていたことが、今の定点から見ると具体的につながりが分かってきた。
  
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posted by 太郎丸 at 23:31 | Comment(0) | 3.11以降のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月25日

マスコミ報道は信頼できるのか「福島原発で何が起きているのか」

放射能汚染が現実かつ深刻な問題になって、今も継続している。
改善する方向にあるようには、まだまだ思えない。

建屋が吹っ飛び、黒い煙が出ていても原因が分からないと発言する東電職員。
官房長官は国民がパニックに陥ることを避けたいが爲の発言に終始している。地元埼玉の選出で頑張っていることも分かるのだけれど、枝野氏らしくない。東電や保安員などに納得するまで舌鋒鋭く問い詰めて、それを伝えてほしい。後に検証されたときに政治家として凛としていてもらいたい。

今は「事実」と「対策」を明確に伝えてもらわないと、中途半端な不安に慣れることが常態化する日常で推移している。計画停電が身近に体感する不安として拍車をかけている。
記者会見でマスコミの記者もけっして掘り下げた質問をしていない。これって何故?
小沢問題でもマスメディアとネットメディアの恣意性や信憑性など、平時だからできる議論もあったけれど、今度は国民の生命に直結する問題。記者そのものも被害を受ける危険度も高く、当事者でもあるはず。

「大丈夫ですよ」という発言を皆聞きたいのだけれど、真実であると思える説明があまりにも足りない。というより状況把握が正確にできていずに、ちゃんと情報が入っていないのではないかと危惧する

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posted by 太郎丸 at 17:03 | Comment(0) | 3.11以降のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月12日

「東北地方太平洋沖地震」−読売新聞朝刊(3/12)記事

 被災を受けた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復興をお祈り申し上げます。

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[2011.03.12 読売新聞朝刊 1面]





2011年3月11日。
初めてこのような大きな揺れを体験した。
10階建てのRC造のマンションが前後左右に揺れているのが目の前で起こった。
振動台実験で見た光景であったのかもしれないが、その上にまさに自分自身が乗っている。
正直、建物が倒れるかもしれないという恐怖感を持った。
これは実験とは違う。何が起きるのかは分からない。
直後のテレビ報道で宮城県沖での地震が連鎖して生じ、大きな津波が押し寄せる映像をライブで目の当たりにする。
建築があのように簡単に破壊されていく光景はとても辛く、ただ呆然とするのみだった。

鉄道は停止し、帰宅難民となる。江古田から徒歩で入間までの覚悟。
家族の安否が気にかかる。公衆電話では連絡が付き、ひとまず安堵。
携帯電話は使えない。携帯メールもすぐには届いていなかった。


ブログやMIXIなどはリアルタイムで投稿できていた。
とりあえず家族にはブログで現在位置を知らせた。
途中まで迎えを要請するも、都心に向かう車も大渋滞していて不可能だった。
11時ごろ「ひばりが丘」にたどり着く。幸いにも電車が動き出し、日が変わってすぐに帰宅できた。
テレビでは被害状況を伝えている。
大被害であることは予想できてもその程度までは分からない。
社会の仕組みも大きく変化せざるを得ない状況になるのではないか、不安な日々が続くだろう。

新聞は12日翌朝のもの。
この状況からの復興。大きな試練なのか。
数年後に保存してあるこのページを見返したときに、どういった思いでいられるのか・・・。
16年前の阪神大震災の新聞も束にして保存しているが、少なくとも表に見える復興した姿からは、あの惨事は記憶の中のものになっている。
posted by 太郎丸 at 19:27 | Comment(0) | 3.11以降のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月29日

実験続きの年末年始

毎年、実験といえば木造耐力壁ジャパンカップへの協力等で秋に数日間、木造の構造実験に関ってきた。木耐JCは実験というよりは競技会だから実験みたいなものと言ったほうがよいかもしれない。
今年の後半はいろいろな実験に関る機会が増えた。
2010_1217_122S.jpg私が参加しているNPOで木造の構造実験を12月に4体行った。試験場は木耐JCでおなじみのものつくり大学。試験の実施は小野准教授。まさに木耐JCの実行委員だ。

実験の目的は、厚板を使った木造床組みの剛性の確認をしようというもの。最近では3〜4cmの厚さの無垢板を2階床に使うことも標準的な仕様としている設計者や大工棟梁も多いのではないか。いわゆる踏み天井と呼ばれるもので、古い町屋などでもよく見られる方法だ。 
  
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posted by 太郎丸 at 15:15 | Comment(0) | MJK463ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月13日

2011年は伝統構法の震動台実験でスタート

12/13の今日、来年1/20に公開される伝統構法の震動台実験見学申し込みの募集が行われた。300名の見学定員であったが、午前10時受け付け開始で、午後11時35分には定員に達するという注目度の高さだ。

兵庫のEディフェンスで行われる「伝統的構法の設計法作成及び性能検証実験検討委員会」の実験では、それぞれ目的を持った4種類の試験体が造られている。
年明けの1/6から3週に渡って毎週震動台実験が行われる。そのうち公開されるのは、試験体4と呼ばれる石場立てで土塗り壁の4間×6間の総2階建て。
  
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posted by 太郎丸 at 20:13 | Comment(0) | 伝統構法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月05日

耐震建築問答」再読

耐震建築問答私家版仕様書の2年間の連載開始の直後に阪神大震災がおきて、木造を構造的に見る傾向が顕著になっていた。多くの古い家屋の倒壊の映像は現実の厳しさを突きつけられた。そのようなときに耐震建築問答を目にする機会があり、著者である田辺平学の古い家屋に対する対応策などはとてもユニークに受け取れた。戦前の著作であるから新しい内容ではないけれど、具体的に例を示しての問答形式の記述は理解しやすいものだった。
最近、再び原本を見る機会がありこの際、これを情報として共有できると良いのではないかと考えブログに掲載をすることにした。

以下は、ブログ「耐震建築問答」再読の説明記事「このブログについて」から



工学博士・田辺平学が昭和8年に著した耐震建築問答は、問答形式で建築の耐震性について平易な表現で語っている。地震や台風の災害で起こっている現象は今も昔も基本的には変わりはない。昭和25年に施行の建築基準法は災害を受けるたびに建築の構造的な弱点を補う形で改正されてきた。木造にあっては、筋交いで固め、面材で固め、金物で補強することで災害への備えとする方策を良として順次強化されてきた。そのスタートの段階に田辺平学もいるのだが、昭和8年のこの著作の段階では、大工技術の技法に対する痛烈な批判がある一方で、地震被害調査の詳細な観察から、少なくとも当時あるいはそれ以前の木造家屋にあっては、地震入力を断絶することで被害を小さできる可能性を示している。

筋交いの研究等を行っていた田辺の考えからすれば、工学的に検証され、固めてしまうことで耐震性を確保することこそを最良と考えていたと思える。しかし、当時の木造住宅は田辺が期待する工学的な配慮がなされたものではないという現状に対しての対応策を提案しているのである。このことは研究者としては、論理だけで推し進めてもまだ社会が対応できる段階に至っていないと考えていたのかもしれない。新築の木造家屋で実際に建物を移動可能にするためのコンクリート基礎の提案をし、写真を掲載ているところを見ると、建物倒壊に対する予防策としての可能性は見出していたのだろう。
単純に言ってしまえば、この段階では、工学的に固めれば地震に耐えることが可能であるという視点と、工学的に固めているとは言えない当時の造り方であるならば地震力をかわす方策もまた被害程度を小さくできる可能性があると見ていたようだ。この選択肢を用意していたことは、現実的に実効性を高かいものにしたいという意気込みであったのだろう。
戦後、木造に対する否定的な姿勢を示していたとされる田辺の印象からは、この著作の段階では客観的な目線で提案しているように感じる。

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posted by 太郎丸 at 18:00 | Comment(0) | MJK463ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月23日

25年ぶりの法隆寺

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昨年の秋、25年ぶりに法隆寺を訪ねた。1984年の春に20日間程度の西日本ひとり旅したときに、ここもその目的の一つだった。ようやく「木造」に目覚めかけていたころのこと。

当時も勤め先で木造住宅の設計はしていたけれど、「木造」ということに対する自らの問題意識は希薄で、RC造でもS造でも木造でも構造として並列にしか考えていなかったように思える。 ■続きを読む
posted by 太郎丸 at 18:24 | Comment(0) | MJK463ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月17日

信州大平宿の歴史を紙芝居で

2009_0801_0047ss.jpg今年の大平建築塾では、今までの振り返りも兼ねて、かつて吉田桂二先生が作った紙芝居を外弟子・益子昇氏の語りで楽しみました。
紙芝居の画像とそのときの音声で動画化しYouTobeにアップしました。益子氏を知る方にはその語りをより楽しんでいただけると思います。



◆峠の村のものがたり・その1


  
 ■峠の村のものがたり・その2 へ
posted by 太郎丸 at 15:41 | Comment(0) | 大平建築塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月25日

連合艦隊解散の辞

いよいよ、司馬遼太郎の「坂の上の雲」のドラマが始まりますが、このドラマが始まる前にどうしても見ておきたいものがあって、横須賀で記念館になっている戦艦三笠を訪れました。航空際でも戦闘機を見てわくわくするように、戦艦を見ても似たような感じです。戦艦といっても三笠は公園の一角に固定されているので、本物とはちょっと違う状態ではありますが。ちょうど、有料道路から市内に降りる直前の左側が軍港で米海軍のイージス艦(?)と潜水艦がちらっと見えました。これは、まさに本物。

連合艦隊解散の辞

ここに来たかった最大の目的は「連合艦隊解散の辞」の実物を見てみたいとかねがね考えていたからです。東郷平八郎の直筆とあります。
日本海海戦は海戦史上例のない完全勝利でありながら、戦役後には軍人としておごることなくひたすら自らの責務を全うするために行うべき平時の行動の重要性がその実践を踏まえて書き記されています。起草は秋山真之と言われています。
当時の米大統領のS.ルーズベルトは、この内容に感銘を受け、米海軍士官に翻訳文を配ったそうです。
  
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posted by 太郎丸 at 01:24 | Comment(3) | MJK463ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月02日

歴史の1ページになる日

2009年の8月30日(日)は歴史の1ページとして記録される日となりました。
 平成21年8月31日朝刊
 朝日新聞朝刊(平成21年8月31日) ※拡大します
「民主党の政権政策マニフェスト」を見る [追記] 
2010年6月2日 鳩山首相退陣表明  [2010.09.29追記]

1999年(H21) http://ja.wikipedia.org/wiki/1999%E5%B9%B4
1989年(S64/H01) http://ja.wikipedia.org/wiki/1989%E5%B9%B4
1979年(S54) http://ja.wikipedia.org/wiki/1979%E5%B9%B4
1969年(S44) http://ja.wikipedia.org/wiki/1969%E5%B9%B4
1959年(S34) http://ja.wikipedia.org/wiki/1959%E5%B9%B4
1949年(S24) http://ja.wikipedia.org/wiki/1949%E5%B9%B4
1939年(S14) http://ja.wikipedia.org/wiki/1939%E5%B9%B4
1929年(S04) http://ja.wikipedia.org/wiki/1929%E5%B9%B4
1919年(T08) http://ja.wikipedia.org/wiki/1919%E5%B9%B4
1909年(M42) http://ja.wikipedia.org/wiki/1909%E5%B9%B4

ウィキペディア(Wikipedia)で10年刻みに100年分をリンクしてみました。
10年一昔と言いますが、単純に10年で並べてみても関連ある事柄が潜んでいるようにも見えます。もちろん、前後の9年間が連綿とつながっていての結果ですが。

「20世紀少年」という映画がちょうど上映されていますが、主人公と同世代のものとしては、1969年の記憶は鮮明に残っています。白黒テレビで不鮮明な映像を見て、西山千さんの同時通訳と「ピー」という音が何なのかよく分からないで聞いていたことや翌年の万博の特集記事などがマガジンやサンデーに載っていた時代でした。林間学校の帰りのバスの中で三沢高校の再試合の中継をドキドキしながら聞いて、一人で投げぬいた太田投手に感動しましたね。
この年の暮れにあった総選挙の初当選の何人かの人達が、今回の選挙の中心にいるも面白い。

 ■各年の主なできごと
posted by 太郎丸 at 10:44 | Comment(0) | MJK463ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする