
現在、学生に木造の話をする機会を前期の間与えられている。学生数が多く同じ授業を2度行なっている。特に出席表を出してもらうわけではないのだが、みなさんまじめに出席している。試験は行なわず、4課題の提出による評価法をとっているので、極端にいえば課題だけ出しておけばそれなりの点数はつくと思うのだが・・・。
自分はどうだったろうかなどと四半世紀前のことを思い出してみても仕方がない。
すでに終わった2課題は、実際に木造住宅の建設現場に出向いて、取材し、与えられたテーマに沿ってまとめるというもので、建築を学んでいるといっても、実体験としての建築に触れる機会のほとんどない学生にとっては、よい刺激になっていることは間違いないだろう。
ただし、どういった現場に出会えるか、となると、ほとんど偶然でしかないために、自宅の周辺やたまたま電車の窓から見えた工事現場だったりしているようだ。この部分は彼らの運によるところが大きい。もちろん選んだ住宅の質で評価が左右されることはないけれど。
提出されたレポートの多くは、大手中小は別として、建売住宅がほとんどであり、統計的にもそれに出会う確立は高くなる。
高気密高断熱、合理化工法、強度1.5倍の集成材の柱・梁などのうたい文句が毎日の新聞の折り込み広告に出ているものがその大半を占めている。それぞれの考え方には技術的に理解できる要素はあるのだが、ではなぜそうなの?といったときの答えは何なんだろうと思うものが多い。
それは、取材した学生たちに語ってくれた大工棟梁たちが必ずしもその現場で生き生きしていたという様子ではないのだ。昔はこうではなかった的な会話が多く聞かれている。作り手が首を傾げながら作っているというのはどのような家なのだろう。
答えはそれぞれで考えて出してもらうしかないのだが。

逆に、中には協同組合のモデル棟にしようをいう現場もあり、地場の木材を使い、自分達が確信の持てる受け継がれてきた技術と現在の新しい技術を融合するような試みで、こちらが興味をひかれる現場もあった。
また、棟梁がひとりで半年も掛けて刻んだ話を自慢げに語ってくれた現場もあったようだ。
そういった建物は職人が生き生きしている姿を学生の写真やスケッチからでも十分に想像できる。
少なくとも作り手が納得しながら、あいは納得できるように仕事をしていること。これが現場での必要条件だと思うのだが・・・。
次の課題は、民家を題材にするが、学生諸君の反応が楽しみ。
(2004.06.02)

