2012年03月10日

地球温暖化ってどんなものなの?  目的は本当にそこなのか?

「地球温暖化という人類の生存に関わる脅威に対して、世界が立ち向かおうとしています。 2005年2月16日には「京都議定書」が発効し、日本は2008年から2012年の間にCO2などの温室効果ガス排出量を1990年にくらべて6%削減することが義務づけられ、様々な対策を進めてきました。」

これは、チャレンジ25(温暖化防止のための国民運動)の内容を説明した冒頭の文章です。
揚げ足を取るわけではありませんが、「地球温暖化という人類の生存に関わる脅威」がどうやらあるらしいのです。しかも「世界が立ち向かおうとしています」とまで言いきっています。
チャレンジ25(温暖化防止のための国民運動)

これは大変です。すごいとんでもないことが起きようとしているようです。全世界の人は、一致団結して固唾を呑んで、向かってくる恐ろしい何者かと戦おうとしているような書きぶりです。このままでは外にも出られないようなことが進行しているかのようです。
テレビのバラエティ番組ではありませんが「ほんまでっか?」と問いかけてみたい感じです。

たぶん、イメージとしては、今のままの生活をこれからも続けていると、映画「デイアフタートモーロー(2004年公開)」が現実に起こってしまうよ、と言いたいのでしょう。映画では南極の棚氷が温暖化のために急激に溶け出し、海流に変化を生じさせたことにより急激に寒冷化に向かい、異常気象が全世界で発生していくというもの。ロサンゼルスが竜巻で破壊され、ニューヨークにも津波のような高潮が襲い壊滅状態となるという、まさに人類が、その存亡に関る脅威にさらされるというものでした。SFXの映像の迫力は十分に見ごたえがありました。

映画のようなことが起こるかどうかは別としても、温暖化を阻止するためには、人為的に排出している温室効果ガスを削減する必要があるというのが、このチャレンジ25の活動目的です。これは環境省の施策ですが、国として世界に表明してしまった約束です。経産省や国土交通省などでも同一のテーマで関連した施策が次々に作られて、実施されています。これからもこの「ほんまでっか?」と思われる基本方針が変わらなければ、国の姿勢は継続されるでしょう。

経産省関連では、CO2を出さないので原発はエコであるかのような宣伝文句にもなっていました。その推進の大きな理由のひとつにされてもきました。実際には、原子炉の冷却水に海水を使うために、発電エネルギーの2倍ものエネルギーが海に捨てられ、周辺の海水温を上げていたことを3.11の事故以降のさまざまな情報から知ることになりましたね。原発は、直接地球そのものを暖めていたということだったのです。人為的に海水温が上がっているということはその周辺への気温への大きな影響もあったのではないかと予測できます。少なくともその周辺の海の生態系を変えてしまう要因を作っていたのではないかと推測できます。

建築関係でも、今では「省エネ」に関することは、温暖化への対応が主題となっています。単純にいうと、断熱化の促進と再生可能エネルギー活用機器の利用の推進が目に見える形で現われています。施策は直接法文になっていきますから、新たに規制が作られ、あるいは強化され、その規制に対してのチェックする仕組みがセットで用意されることになります。結局、ここには必ずコストがかかりますから、その負担が国民に帰ってくるという仕組みになってしまうわけです。快適で健康的な生活のために一定の断熱化は必要というのであれば理解もできるのですが、温暖化のためにと言われてしまうと、はたしてそうなるの?と思うところ大なのです。すでに、オイルショック以降に省エネに関しては、ある程度の技術的成果は出せているものと思っていますが。建築に関しては、改めで整理してみたいと思います。

原発の事故から、エネルギーやエコ、環境というようなことに関心が向いて、いろいろと調べてみると、この「温暖化」が相当に曲者であることがわかってきました。これも研究者や識者の間ではすでに数多くの論点が提示されていますが、それがまともに議論されることもなく、もしかしたら間違っている、あるいはそんなに緊急性を要す必要もない科学的な例証の認識で、今の日本の政策が実施されている可能性が高いように思えます。エコや環境に関することも、その基本はエネルギーの話になりますので、それられの関連はとても強いものです。「温暖化」関連事業を事業仕分けの議論の対象にしていたら結構無駄と仕分けされる予算が生み出せたのではないかと思っています。
確かに、今地球は温暖化していることは間違いないらしいのです。では、その温暖化によってどういったことに問題が起こるのか。それは「人類の生存に関わる脅威」というまでのものなのか。その脅威は、いつごろ顕在化してくるのだろうか。ここ数年の夏の猛暑などの異常気象はその表れとテレビや新聞では煽るけれど、異常気象は何も今に限ったことでないという考えもあるようだ。この冬の豪雪は温暖化のせいなのか?それをどのように捉えるのか。?への答えを知りたくなります。

全地球的な気候変動の調査、その報告はipccで提示されたものを基本として政策に反映されているとされています。(ipccについてはコチラ)最近は便利になったものです。各省庁でもこの翻訳版が読めるようになっています。

温暖化は?とする関連本の章の見出しには、共通する幾つかの疑問点があげられています。
  • そもそも温暖化すると何が問題なのか?
  • そもそもCO2が増えると何が問題なのか?
  • そもそも温暖化にCO2はどの程度関与しているのか? 水蒸気量の影響は?
  • 太陽活動、その周期の及ぼす影響は?
  • 仮に問題があるとした場合に、まじめに日本人がCO2の排出量削減すると世界的に貢献できるのか。そして尊敬されるのか?
  • では、国益を第一優先で考えるアメリカは何故その立場に立たないのか?
  • もし、条約で決めた削減量が達成できないと日本はどんな罰則を受けるのか?その時、誰が得をするのか?
キリがないのですが、???が続きます。

どうも、日本にとっての温暖化は科学的というよりは政治的に進めてしまったから、後戻りできないという政治的状況であるように思えます。それならそれで、これからの将来、この政策で日本がハッピーになれるのか。どうもそのようにはならなさそうな気配ではないでしょうか。こういったことをあまり深く考えていなかったことも反省としてありますが、もし、国の舵取りが誤っているとなると、こちらのほうがはるかに日本人にとっての脅威となってしまいます。

「人類の生存に関わる脅威」などと不正確な状況判断で不安を煽るような表現をもし企業が広告で使ったら、たぶん誇大表示として不当表示防止法に引っかかって指導を受けるのではないでしょうか。また、京都議定書には、アメリカや中国など世界のCO2排出量に決定的に影響し、さらに人口も多い国が参加していませんから「世界が立ち向かおうとしています」の表現も明らかに間違いです。正確性に欠けます。これではいただけません。

例えば、小学校などで環境に関するテストで、先にあげた
「地球温暖化という人類の生存に関わる脅威に対して、世界が立ち向かおうとしています。 ・・・・排出量を1990年にくらべて6%削減することが義務づけられ、様々な対策を進めてきました。」
を○×で答えるとしたら、後半は政策ですから内容の良し悪しは別としても○とするしかありませんが、前半は明らかに×ですから、問題の答えとしては「×」となります。


社会が複雑化し、情報も多様で多層化し、より専門性も高くなってくると、個人の経験や身体感覚で捉えられる領域をはるかに超えてしまい『信頼できる情報源』の情報が正しいと思い込むことに慣れてしまっていそうです。さらに、考えをも任せて、行動させられていることが、どうも多くなっている世の中になっているように思えます。

3.11のある時期の一律的な原発報道は、まさにそれであったのではないかと思います。異なる意見や考えを吟味ぜず、少数意見あるいは声の小さなものを排除することの方が簡単です。みんなで渡れば怖くないと思って(思いたい、なのかもしれませんが)いたのかもしれません。気づかぬうちに落とし穴に落ちていたという感覚になりました。そのように操られていたのか。操られていたということは、操っている人がいるということにもなります。

原発推進の過程は、振り返ればまさにこの事象例となってしまいました。今は落とし穴の中に落っこちた状態です。まさに、メルトスルーし、穴が顕在化してしまったということです。

実は、いろいろな所に落とし穴が掘られているのかもしれません。見えていないだけで。結果として、もしかしたら自分たちも穴を掘っていることに気付いていないかもしれません。そうであるとすると問題はもっと深刻化しています。
少なくとも、掘っている人(本人は掘っていることを意識していないかもしれない)は正しいと思っている場合が、けっこう多いのだろうと思われるからです。こういった社会の状況になっていることのほうが、はるかに「人としての存亡に関わる脅威」と考えてしまいます。

いずれ地下資源が底を付けば、気にしているCO2の排出量は出したくても出せなくなってしまうので、そこを気にすること自体が、もはやどれだけの意味を持っているのかという論点もあります。
化石燃料の使い方は、単純に電気や熱のエネルギー変換で一次で消費するより、まず物として形を変えて一度価値あるものとして利用し、廃棄後にエネルギーとして使用するなどとすれば、たぶん資源小国の日本にとっては同量の資源を効率的に活用できるものと考えられます。
だから、例えば省エネを進めて、その分の石油で製品を沢山作り、経済力を高めましょうという目的であれば、話としてはむしろ分かりやすいし、結果も見えるものになるかもしれない。ただ、話がダイナミックでない分、看板にはなりにくいでしょうね。やっぱり、巨大な高波が押し寄せてくる原因となる温暖化に立ち向かうというほうが絵にはなりやすい。

しかし、それはロシナンテにまたがって、サンチョパンサにその巨大な波に立ち向かわせようと、後ろから単騎で雄たけびをあげているだけのような感じでしかないと思うのです。しかも後ろには誰も着いてはこない。
ただ、舞台には上がらず、その舞台を観客として見ている客は実はいっぱいいるのです。いや、舞台は見ていないかもしれない。結果は分かっていますから。舞台上の演者は注目してもらっているとかってに思っているのでしょう。6%を25%へなどと大盤振る舞いまでしたから。「大きいことはいいことだ」という感覚なのでしょうか。

観客は、手元にアイフォンを持って、呟いていたかもしれません。
「おいしいお土産げを持って帰るからね」と。

どうも明るい未来が見えてこない。3.11以降、そんなことを考えている今日この頃です。

明日で、丸1年。

posted by 太郎丸 at 18:37 | Comment(0) | MJK463ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。