2012年01月31日

解体された旧平岡レース事務所棟

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昭和25年に建設された旧平岡レース事務所棟が解体(平成23年11月)されました。一旦、建築としての役割は終えました。設計はF.L.ライトの弟子の遠藤新で、屋根の形や出窓で水平線を強調するなどにそのデザインの特徴が見られます。資材もまだ少ない時代のものですが、まだ人件費が低いこともあって、職人の手による仕事を見ることができる時代であったことを知ることができます。s005.jpg
s2011_0909_ 020.jpg かぼちゃ束建設場所は飯能市で、この場所にはこれから図書館が建設されることになっており、それが解体のきっかけとなっています。
一時期は保存しようという動きもあったように聞いていましたが、壊されることになってしまったようです。所有者は市でしたから、最終的には市長の判断があったのでしょう。
建物は、私が興味を持っている木造架構を現し、それを意匠とするようなつくり方ではなく、和室以外は、基本的には内外大壁の造りのため架構体が見えることはありません。しかし、昭和25年というのは、建築基準法が施行された年でもあり、その時代に建築家がどのような工夫した造り方をしているのかにはとても興味がありました。外観から分かるように、この建物の特徴となる連続窓を実現することは、構造的にけっこう大変であったことが分かります。少なくとも、今の木造のルールで、ここまで造りきるには高いハードルを超える必要があります。
この出窓部分は、他の外壁部分と異なって、窓の上下の壁下地には斜めに板を張って補強しようという考えがあったことがこの写真からは理解できます。
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今の木構造の考え方では、筋交い(耐力壁)を入れないと成立させにくい造りとなっています。この建物にも筋交いは入っていましたが、その数量から言えば今の考えでは足りないと判断できました。
ただ、建物内部の漆喰壁(木摺下地)を見る限りでは気になる割れ等を見ることはありませんでしたので、地震や台風時に建物の構造上に支障のでるような揺れや捻れは生じていなかったと推測されます。
(補修がなされていたかどうかはわかりません)
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木摺り トンボが見える
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天井の木摺下地
s2011_1002_ 086.jpg 和室は竹小舞下地の土壁
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外周部の2階床梁の位置は胴差と呼ばれます。「差し」ですから、普通は通し柱に一本物で差されることと考えていましたが、ここでは高さを変え、高さをずらすことで、直交方向の床大梁を挟んでいます。
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何故このようにしたのか?この組み方にはたいへん興味が沸いてきます。こういった形を見たことはありませんでした。
水平力がかかったときに、軸組み内で力をかわすような機構を想定しているのかなどと考えているのですが。

天井懐に隠れてしまうところなので、こうすることで、床や天井など意匠上に影響することはありません。何故こうしたのか、その意図は分かりませんが、とても興味があります。他に当時の建築を見る機会などでヒントがあるかもしれません。そのときまでの宿題です。
 
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胴差と床梁
解体工事は地元の工務店が請け負っていました。現場で若い監督さんと少し話をすることができました。世の中狭いもので、彼は木造耐力壁ジャパンカップでお馴染みの日本建築専門学校の出身とのこと。おお、日建OBが近くにいたとうれしくもありました。

彼のお父さんが工務店の社長さんで、この建物を彼のお祖父さんが建設したとのこと。建物の最後を息子、孫で看取ったということになります。今の時代で、こういうことはとても羨ましいことと思えました。

技術的に建築を知ることができる機会は、建てる時か、壊す時が最大のチャンスです。ここでは、骨組み保存のため時間をかけて解体ができ、又とはない機会であったと思います。代々に技術を受け継いでいける場となったのではないでしょうか。
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この文の書き出しで、一旦その役割を終えましたと書きましたが、この主要な骨組みは保存されて残されることと聞いています。何時の日かどこかに建てることを求める意思さえあれば、それが物理的に可能な状態にはなっています。これまでに保存か解体で議論があったと聞いていますが、これからの市民と行政の協働が試されるテーマとなるかもしれません。

何度か解体現場を訪れたときに、郷土館の担当官が丁寧に野帳取りをして、記録保存の資料を作っていましたので、それが役立つときがくることを祈ります。その調査は建物の報告書としていずれ刊行されるでしょう。その貴重な記録を待ちたいと思います。
[2011・秋]

posted by 太郎丸 at 23:49 | Comment(0) | 家・建築のことなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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