2011年09月19日

昨晩(2011/9/18)のETV特集 「原発事故への道程(前編)」

昨晩(2011/9/18)のETV特集は、1950年代〜70年代までの原子力発電の黎明期の流れをその中心で推し進めてきた、政治家、官僚、報道、商社、そして研究者などの証言でまとめた番組の前編だった。結末は来週・後編でフクシマへとつながる。

原子力の平和利用も米ソの力のせめぎ合いの中からでてきたことなど知ることができた。
当時、研究者は時期尚早として、原子力の活用に反対の立場をとっていたが、政治が動き予算が付き、官僚が動き、報道が「平和利用」をあおった。日本が高度成長へ向っていく、貧しくとも活気のあった時代に、「核」というマイナスの体験が「原子力」というプラスのイメージへ大きく転換されていく様子が伝わってきた。

正力松太郎の関りの大きさとその豪腕ぶりが良く分かり、いっきに引きづられていった感じだ。対応に慎重であった原子力の研究者たちも徐々に方向転換していくことになる。3.11以降にマスコミに出て解説していた方々の諸先輩にあたるのではないだろうか。
基礎研究がないがしろにされた過程は、今回の事故でもその対応に大きな影響を出してしまったのではないだろうか。マニュアル化される前の膨大な失敗の積みかせねの記録や記憶を知ること無しに大きな機械を購入させられてしまったからだ。商社にとっては、戦後からの脱出になるビックビジネスに飛びついた構図もよく見えた。その裏で、さまざまな表に出せない工作があったであろうことは想像できるだろう。

これは、たまたま見つけた記事なのだが、昭和29年2月1日の朝日新聞の4面科学欄の記事。「原子力バッテリー?」「将来は自動車用にも」「心臓はストロンチウム90」が踊っている。これが読売新聞でないところが面白い。というよりも、すでに明るい原子力の未来という空気が社会に醸成されつつあったということなのかもしれない。
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記事は、原子力バッテリーの実験が成功したというニューヨーク発の情報を伝えている。その解説に、同じ研究機関が発表した3年前の報告内容を基礎として記者がまとめている。
記事の最後の方に、このバッテリーは現状では高価なものであるが、今後放射性物質が量産され安価になること、技術的に進歩すれば、電池腕時計や補聴器の電源として活用でき、その後には「ついには自動車用バッテリーとなるのも夢とは言い切れまい。」と実に明るい夢のある記事としてのまとめだ。

原子力の関連として、この記事の隣には、「英の原子力工場」の紹介記事、左下には世界初の原潜ノーチラス号進水を原子力の第4の記念日として評した記事が見える。

その後に生まれた私には、1960年代中ごろにに鉄腕アトムに夢中になっていたころの記憶がある。それもすべて大きな力の中でプロパガンダとして効果的に使われていたと、結果から見ると思えてしまうのは残念なことだ。あのころは、確実に未来は明るいものとしてしか考えていなかったように思える。
[2011.09.19]


●参考資料:
・聞蔵Uビジュアル 昭和29年2月1日記事
  http://database.asahi.com/library2/
・NHK ETV特集
  http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0918.html

posted by 太郎丸 at 11:40 | Comment(0) | 3.11以降のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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