2011年06月06日

eシフトという運動体

今朝の新聞に青森県知事選挙の結果がでていた。原発推進派の現役候補が当選と出ていた。脱原発は実質的な争点になっていなかったようだが、現役の強さなのか。
 2011-0604s.jpg3.11の福島第一原発事故を契機に、脱原発と自然エネルギーを中心とした持続可能なエネルギー政策を実現させることを目標に掲げた団体・個人が参加するeシフトという運動体ができた。
そのシンポジウムが6.04(土)代々木で行われた。
5つのセッションで企画され、8時間にも及ぶ長丁場であった。
残念だったが途中で退席してしまう。これからのエネルギー政策の方向転換のきっかけを作っていける運動体になることが期待されるだろう。
退席後のセッションはUstreamで見ることができた。便利な時代だ。 

フィナーレはイザナイ踊り。初めて聞いたが、ヨサコイがベースになっている踊りだそうだ。
「ソイヤッサー」「ソイヤッサー」・・・「ドスコイ」など勢いのある掛け声で世のイヤナモノのを吹き飛ばそうというようにも見えた。幕末の「えいじゃないか」ではないが、体での表現は次のパラダイムに転換するときの市民の気持ちの切り替えの儀式なのではないかと考えたりもした。ただ、お伊勢さんのお札が降って来た幕末とは違って、平成の今は放射性物質が降って来てしまった。

昭和も20年を境にその前と後ろでは世の中のが変わったと見える。3.11の前と後ろでも未来から振り返れば変節点になっていると思うけれど、さて、どうだろうか。首相が辞めるの辞めないのなどで、こんな緊急事態が継続中にもかかわらず、つまらない時間が浪費されている。3.11前と何も変わっていないようにも見えてしまう。勘弁してほしいよ。そんな時じゃないだろうに。

セッション3のドイツ安全エネルギー倫理委員会委員で、社会学者でもある米国人のミランダ・シュラーズさんの発言。「ドイツが原発を止めた基準は福島を見たから。当事国の日本でそのようにならないことが興味深いと」
s2011_0604_064.jpg
ドイツ人にとって福島は、チェルノブイリ事故のときの恐怖の経験を蘇えらせたものだったようだ。ドイツでは、推進派と脱原発派が半数づつ、専門家だけでなく市民も参加して同じ土俵で長時間議論した結果、その多くが脱原発へと意見集約されていったという。

日本だって安全基準が確定するまで、少なくとも浜丘だけストップの話ではすまないはずなのに。首相が浜岡を止めてくださいと要請するのが精一杯だった。それ以上に議論は進んでいないように思える。日本では受け止め方がだいぶ違う。放射能が今でも漏れ続けているのに。
s2011_0604_044.jpg このセッション、他のパネラー飯田哲也、宮台真治、上杉隆の3氏。マスメディアへの露出は少ないが、ネットメディアではすでに論陣を張るおなじみの各氏で、発言内容はすでに発信されていることだったが、決起集会っぽいシンポで各氏の認識が再確認される場となった。ソフトバンクの孫正義氏もビデオレターで参加した。

福島の問題では、正しい情報の発信のあり方を今後ちゃんと検証できるかどうかが原発事故の収束と同時に重要だろう。
マスコミでは政府発表情報をコピーして、それを補完するために専門家の意見等を付加していたように思える。「安全ですよ。心配しないで」という姿勢。示されるデータ等に関しても安全側で解釈しているように感じた。

ネットメディアは、政府発表情報に対して、その信憑性や不確かな部分への追及の姿勢がマスコミよりはるかに強かった。単純に言えば突っ込みがきつく、答え難いことを聞き出そうとしていた。最悪の事態を想定することで、今どういったことを適切に行うことが望まれるのかを探ろうという姿勢。
s2011_0604_054.jpg
s2011_0604_061.jpg
 ▲飯田哲也氏の提言
その状況は、ほぼ編集のないUstreamなどの動画サイト上でリアルタイムで、あるいは録画で記録され閲覧できる。マスコミのように見出しを切り出して、要領よく(意図的に編集し)見せることではなく、少なくとも何の隠し立ても無く、悪く言えばダラダラと見せられる(聞かせられる)ことになる。そして、内容に関する判断は閲覧者の責任にゆだねられている。

治安維持法があれば、今回のネットメディアは即刻抹殺されている。怪しいと思っていても大本営発表しか知りうる情報がなかった時代でないことは、今の救いである。ネットメディアが発信していた予測情報の方が結果としても正確性が高かったのではなかったか。
しかし、一番緊急事態であった原発爆発直後に危険な状況を危険として発信していたネットメディアだが、大本営発表には対抗できず、被爆の軽減にどの程度寄与できたのだろうか。今後の検証作業は必要だろう。どこに責任の所在があるのか明確にしておかないと過ちをまた繰り返してしまう。

今回のような非常時の対応は、正確な情報を持っている人が正しく伝えること、それに対する行動規範も的確に示してくれないとうまくないのだ。しかし、個人の経験が活かされる時間的間隔で危機的な状況が起こるわけではないから、残念だけれど毎回反省が繰り返えされて終わってしまうのかもしれない。期待値での情報でなく、最悪の事態想定での情報を出すことだけは教訓としてほしいけれど。時の当事者は、期待したい楽観的な情報を言いたい習性となってしまうのだろうか。
s2011_0604_014.jpg シンポ最初のセッション1は「福島現地からの訴え」。今なお何も改善されること無く、あいまいに放射線の基準値を操作されている中で生活することの厳しさにに胸が詰まる。行政の責務とは何なのか、何を守るの? 憤りを覚える。

たとえば、20mSv問題の不安解消に、福島県では放射線健康リスク管理アドバイザーなる先生方が講演して回っていると言う。「100mSv以下なら安全ですよ」と。
そういうことじゃないだろう。
s2011_0604_016.jpg
s2011_0604_024.jpg
セッション4の質問タイムの前に高木学校・元放射線医学総合研究所の崎山比早子さんの放射線に対する講義があった。5月20日の衆議院科学技術特別委員会で参考人陳述で用いられたスライドだ。
s2011_0604_085.jpgs2011_0604_086.jpgs2011_0604_087.jpgs2011_0604_090.jpgs2011_0604_091.jpg
 ▲崎山比早子さんのスライド抜粋
s2011_0604_093.jpg 
そもそも基準を変えて、安全ですというのはルール違反。非常時だから基準を緩くする対象を一般市民にまで拡大することは安全側で審判すべき研究者のモラルの放棄ではないのだろうか。
安全ですよと言ってもらいたいし、安心はしたい。けれども、避難地域の拡大を避けたいという行政の思惑が透けて見えているところが、かえって不安を煽っているのではないか。

未来の話をしようというシンポだったのだが、どうも現状起きていることが深刻すぎ、しかも現在進行中で、その対応にも問題が多くあることが見えてきているし、その改善の見込みもまだ立っていないということもあって、明るい未来へという感じではなく、課題山積みが確認されたように思う。乗り越えなければならない山がいくつも連なっているような感覚になった。

課題の解決への時間的な問題はあっても脱原発に向かうことにより、再生可能エネルギー活用の社会へ大きく舵取りされる空気感はあるように感じる。少なくとも明るい未来の光の兆しは見えるように思う。
イザナイ踊りは、ええじゃないかではなく、天岩戸を開く踊りなのだ。

これからのeシフトの活動には注目だ!
posted by 太郎丸 at 11:40 | Comment(0) | 3.11以降のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。