2011年06月02日

20mSv問題 後出し基準が優先されて安全が担保できるは無理

1年間に1mSv以下であれば放射線に被曝しても可としてきた基準が20mSvにまで引き上げられた。
これで国民の健康、安全を担保できるのだろうか。
となると、今までの基準はいったい何であったのか? 
原子力安全委員会で出されたこの意見で、子どもたちにまでこの数値が適用されている。
この後出し基準に対する反対運動が起きた。文科省に詰め寄るお母さんたちの行動は親としてのごく自然な反応だ。
そもそも、基準を不利側に変更して、問題がないかのように言うのは何のためなのか。

福島原発の未だに収束しない汚染の拡大に対して、避難地区に指定されて直接非難している地元の皆さんの苦痛には胸が痛む。
さらに、その周辺にも汚染は拡大しているのに、基準を暫定的といえども変更することによって、安全を装うような方策は愚策以外のなにものでもない。
「直ちに健康に影響することはない」ということは安全を担保しているということではなく、危険リスクがあるということを表明しているわけで、国家は何を守ろうとしているのか。
まったく分からない。
目に見えないものに対する不安や恐怖であるため、明確な態度を見せることこそ必要なのに、基準を緩くして大丈夫と言われても納得するすべもない。
放射能には閾値がないとか、100mSv/年以下なら問題ないとか発現する研究者もいたりとか、むしろ不安を醸成している。
緊急時だから基準を緩めるのではなく、平時に定めた基準値を超えたら国民のためにそれに対応することが、国の責務ではないのか。そのための基準値なのだから。
政治家は何を守ろうとしているのか。

5月27日の文科大臣の会見で言っていることも何が言いたいのか全然分からない。この文はどう解釈するのだろう。どう解釈してほしいのか解説をつけてほしい。

 20110527monkasyou-daijinkaiken-03.jpg
1mSvを目指すという努力目標などは必要ない。1mSv以下の環境を用意すれば子供たちの心身の健康・発達を阻害することは従来どおりないのであるから、専門家の意見も聞く必要もない。
専門家であっても立場により意見が異なり、国民の安心にはつながっていないのだから、安全側で考えるというごくごく単純な考え方で対応すべきこと。


子供たちのことを考えれば、汚染地域から離れたところで教育を受けさせるためにどうするかを考えることこそ、危機に直面したときに求められる政治家の決断、実行力のはずだ。せめて、夏休み終了まで戦時中のように学童疎開など緊急避難的な方策だってあるだろう。その間に汚染土の撤去、除染等行える。しかし、これはこれで、苦しみがあるけれど、子どもたちを守るためには一番確実な方策の一つではないか。ここに子ども手当てを当てればいい。

3.11以降に対する政治家の腹の据え方がどうも見えてこない。イライラ感が日々募っている。
そういえば、「イラ管」などと攻めには見栄えは良かったが、守勢に立つとその片鱗も見えないというのもさらにイライラを増長する。

「国民が第一」というスローガンをちゃんと考えてもらいたい。
後ろから鉄砲撃つような政局がらみのことに心血注いでいるような時間はないと思うのだけれど。


※参考資料:2011.05.27 文科大臣会見にての配布資料(pdf)
posted by 太郎丸 at 10:42 | Comment(0) | 3.11以降のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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