この設定の子どものころというのは主人公が小学校の高学年で大阪万博のころのことだった。1970年に「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、戦後から完全に立ち直ったとする日本の象徴的なイベントだった。私もこの主人公たちと同様の時代を体験している。確か、美術の工作で、カラーのアルミ板を使って太陽の塔を作った記憶がある。ここでは20世紀少年のことを書こうとしている訳ではないけれど、自分の育ってきた昭和という時代、時間の中でさまざまなことが起きていて、それが現代に問題として顕在化してしまった要因となっていたことが、今の定点から見ると具体的につながりが分かってきた。
米国大統領アイゼンハワーは1953年12月に、兵器としての核実験を行っていながらも、「平和利用」という言葉を使って、兵器とは正反対の性格付けがあるかのように核を見せた。翌年の1954年3月にはビキニ環礁で水爆実験を行い、第五福竜丸が被曝してしまった。水産物にも影響がでてしまった。ここでも日本人は被害者だった。

この1954年は、日本の原子力開発にとって(再?)スタートの年として記憶しておかなければならない。国会で原子炉開発の予算が科学振興費の名目で3月4日に通過している。アイゼンハワーの言った「平和利用」という魔法の言葉は、資源の無い日本にとっては『原子科学によるわが国の画期的な産業革命の将来に多大の期待をかけるもの』として、輝かしい未来へ切り開く道具として政治家に免罪符を与えてしまった。核というトラウマからの解放を願ってのことだったのか。戦後の原子力研究がほとんどできていない状態で予算が付いたといっても、当時の研究途上の日本の科学者にとっては必ずしもウエルカムではなかったようだ。当時の新聞には性急すぎる予算通過に科学者たちの反対意見も多数掲載されている。では最大のメリットがあったのはいったい誰なのか?
その当時に最大のメリットを得られるのは、その最新技術を持っている者と考えるしかないはずだ。原子炉の建設が一朝一夕にできるわけもなく、技術をすこしづつ供与しながら、かつ日本の原子力開発をコントロールして、政治的にも外交的にもエネルギーという首根っこ押さえて優位に立とうとする者でしかない。
事故を起こした福島の1号機は1967年度着工、1970年度運転開始。GE製だという。
原発に関しての「予言の書」について書こうと思っていた。ちょっと調べてみたら微妙にいろいろ絡み合っていることがあるんだということを知った。ここで「予言の書」と言っているのは「原子炉時限爆弾
」(広瀬隆著)。初版は昨年の10月。手元にあるのは2刷目(3月20日)になっている。今回の福島の原発事故が起きてしまい、出版社もあわてて増刷したのではなかろうか。この本のなかでの事故の想定は浜岡原発だったが、原発が地震や津波に遭遇してしまったときに何が起こるのかが記されている。
3月11日以降におこった福島原発事故に関して、マスコミでは知りえなかった情報をネットメディアで調べているときに広瀬氏の話を聞いた。今では氏の発言する動画サイトを相当数見ることができる。朝までテレビで「原発」を扱った1988年の放送も最近動画投稿サイトにアップされている。
原子炉を止めることは冷やすこと、そのための電源が確保されること。その前提として配管類が破断していないことなど。また、使用済みの燃料棒も当分の間冷やし続ける必要があること。しかも、使用済み燃料が実は大量に建屋の中に保存されていたということなど、知らなかったことを知ることになった。この知らなかったことが実はとても危険で、危うい状態であったという事実。
原子力を制御すること、複合装置としての原子力発電所のシステムをコントロールすることの難しさは机上の想定だけでは対処できないこと、想定を超えた非常事態では手探りでしか対応できないという現実が今回の事故で明白なってしまった。
原子炉は簡単には止まらない。止められないとどうなるのかを、日々のリアルなテレビ映像で思い知らされた。
事故直後には想定外といった言葉も聞いたが。誰にとって想定外であったのか。誰も今回の事態を本当に想定していなかったのか?
広瀬隆氏は指摘していたし、反原発の活動の中では今回の事態は想定されている。「原発震災」という言葉もすでにあったことを知った。
見直しされるであろう安全基準に対応できる原発は、たぶん現時点では存在しなくなるはず。見直しされないということはまさか無いと思うが、注視する必要がある。これこそマスコミの役割だ。現状で、原発は四面楚歌の状態に置かれいるはず。政治家にも国民にも右か左かは別として「覚悟」が求められている。浜岡原発の停止という「首」が差し出されたことで、他の原発がお咎めなしといういうわけにはできない。しかし、そうしてほしいという関係者の思惑があるやに新聞記事は伝えている。
原子力がクリーンエネルギーではないことはもともと分かっているし、燃料のリサイクルを実現できる技術や長期間の安全性を担保できる管理方法も確立できていない状況(これももともと幻想)、机上では絶対起きないとしてきた原発震災が実は幻想であったこと、そしてそれ苦難として実体験していることをリアルに意識したことによって、これから原発へのまっとうな議論のスタートとなるはず。
原子力は、輝かしい未来を切り開く道具には残念ながらならなかった。科学技術は事故や失敗を乗り終えて進歩するなどと言うことは、今回の原発震災を直視できれば不適当だ。水蒸気を発生させるだけのために原子力を使わないことを考えるほうが素直で、合理的であり、科学的な判断のはず。つじつま合わせを無理やり行なってしまうとほころびが出てしまうのが物の道理のはず。
今回の原発事故の決定的なことは、日本が核の加害者になってしまったという事実。