2009年07月24日

村田蔵六

村田蔵六 先日、九段下まで出かける機会がありました。靖国神社のすぐ近くが目的の会場であったので、参道を通って行くことに。
大きな鳥居の向こう側中央には銅像が建っています。日本の軍制の基礎を築いた大村益次郎で、司馬遼太郎の小説「花神」の主人公になった人です。
村田蔵六は、現在の山口市の村医の子として生まれた彼の元の名です。偉くなって名が変わったわけです。小説の中の主人公像からすると、名という記号が変わった程度にしか感じなかった人で、社会の構造変化が激しい時代の中で、自分の名も化学反応として変わったぐらいにしか思っていなかったと思います。
  
銅像の台座は高く、下からの見上げですから、火吹き達磨と呼ばれた彼の容姿の特徴とされるおでこの大きさはちょっとわかりませんでした。眉毛が庇のように飛び出ています。
村田蔵六

小説のテーマは激動する時代の中で「技術」がどういった役割を担うのかということであったと思います。蘭学という翻訳技術は医学書ばかりでなく、幕末のたぎったエネルギーの中では軍事に向かい、時代のニーズは最新の軍事書の翻訳と本格的な新しい軍事専門家を必要としていました。黒船が来る前のゆるやかな時代には、机上の軍事学、というより戦国時代以降の混乱のなくなった時代にできた○○流でも用は足りていた訳です。実践は必要ありませんでしたから、形式的な「型」だけでも十分よかったのでしょう。
  
黒船以降は、洋の最先端技術を嫌悪しつつもそれを必要とし、実践できる仕組みをつくることができる人材が求められたと思われます。日露戦争の終わるまで、そういった時代の息吹が生きつづけていた日本があっただろうと司馬遼太郎の一連の小説から感じることができます。戦後の廃墟から東京五輪、大阪万博に向かっていく昭和のエネルギーはそれに似たものではなかったのではないでしょうか。その中間に日本が変質してしまった時代があったということを司馬遼太郎は言いつづけていました。

蔵六のすごいところは、輸入本だけの知識で、企画から実施計画を立て、自ら指揮を取って軍事を遂行できてしまった想像力と徹底した合理主義なのだろうと思います。1977年のNHK大河ドラマで中村梅之助が演じた蔵六のイメージは決定的なのですが、幕府軍を石州口で破る時のいでたちは、着流しで尻はしょりしていたようでなかったかと記憶しています。ようは普段着で鎧武者と戦った。指揮官であれば頭が機能すればよく、着慣れたもので動きやすければ十分ということだったのでしょう。上野の彰義隊の掃討作戦にあたって、薩摩の西郷隆盛と長州の蔵六が対峙するシーンも印象深いものでした。

大村益次郎犬を引いた上野の西郷さんの銅像の姿を蔵六も好んだかもしれません。この場所に立つ軍羽織姿はちょっとイメージが違います。この銅像ができるときに仮に蔵六が生きていたとしても、彼にとっては、そういったことはどうでもよいことで、行動目的外の雑事でしかないことだったでしょう。

もし、気にすることがあるとすれば、どうして自分が刀を差しているのかということと、双眼鏡を持つ手が利き手であるのかないのかぐらいかもしれません。それも除幕式の時にボソボソと独り言ぐらいの感じで。

 ※碑文はクリックで拡大します 
posted by 太郎丸 at 11:15 | Comment(0) | MJK463ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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