その日の夕刊だったかに「プレハブは残った」という記事が出て、在来木造住宅がいかにも耐震性がなく、もろいものであるかのような空気が流れた。その後の調査や実大実験などによっても、その新聞記事がいかに風聞被害を広げことにのみ役立ってしまったということがわかった。マスコミ功罪の罪の事例となった。
ちょうど、この年の春に次男が誕生し、今年の春からは中学生という時間が13年という長さなのだと実感している。その間に大きな地震も頻発し、顕著な台風被害なども頻発していて、自然の猛威が猛々しく迫ってくる周期なのかもしれない。
木造の研究は、皮肉にも阪神大震災のインパクトが契機になって進んでいる。客観的な指標で耐震性や耐火性、耐久性を再評価していこうという流れができた。木造を研究する研究者も増えているようだ。学会の論文数もこの時期を挟んで急増していると聞く。これはたいへん望ましい方向であり、そういった論文やその背景で行われた実験等がアカデミックな研究分野にと留め置かれることなく、実用面でも活かせるものとして木造技術の可能性が活性化していくとよい。
木造の技術は、職人が実業の中で受継ぎながら今に至っていると考えている。ただ、どちらかというと、いままでは職人の技術は研究の対象にはなりにくかったようだ。木造研究は理屈ぬきで職人の技術に拠るところ大であるはずなのだが。
古い街並みや民家に見られる伝統的な木造建築は、建築基準法の範疇からするとその対象になりにくい要素をもっている。法規そのものも1から10までを網羅している必要もないので、安全を前提にした裁量は当然必要な部分であるはず。ただ、姉歯に端を発した耐震偽装事件以降の流れは、法規が1から9.8までを担おうとする状況を作りつつある。法律という人間が頭の中でつくったルールで、すべてを理解できると思ってしまう錯覚がどこかにあるのか。このままいくと、そうとうに窮屈な状況になってしまうかもしれない。建築件数の落ち込みはまさにその影響を受けた。
つくったルールどおりでないと×。この場合はルールというよりマニュアルあるいは取扱説明書みたいなもので、その通りであれば○。ないと×。という感じで、人間として判断することを極力避けようとしているのか。もしかしたら起きるかもしれない問題は目に見えないという風に考えることが最良、なんてことになりかねない。
悲観的なことを書いたが、ルールを誰が作るかということが、実は大きなポイント。ようやく研究する対象となり研究者が増えたことにもよるのか、職人の技を生かし、木の特性を生かした技術の再評価は進んでいる。研究分野の領域から法規上のルールまで含めた実用面への転換は進みつつある。数年前に告示化した土壁の耐力や防火性能の再評価はその大きな表れ。ただ、伝統的な要素技術を網羅するにはまだまだこれからだが、そういったことへアプローチする人が増えているように思え、基本的には楽観視している。
あれから、13年でここまで。これからの10年でどこまでになるかを見守っていくしかないのかも。(多少関わりながら・・・)
だいぶ言葉足らずでダラダラ書いていますが、13年目にして頭の隅で考えていたことを記録しておきます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080117-00000033-jij-soci