2008年01月17日

1995.01.17から13年

 あの朝のことはよく覚えている。朝7時ちょっと前に起きて、テレビのスイッチを入れ、NHKに。映し出された映像は、阪神高速道路の高架が横倒しになってうねっている姿。始めは何が起きているのか理解できなかった。刻々と被災の様子が各地から入ってきて、とてつもない被害の状況が重くのしかかってくることは想像できた。
 その日の夕刊だったかに「プレハブは残った」という記事が出て、在来木造住宅がいかにも耐震性がなく、もろいものであるかのような空気が流れた。その後の調査や実大実験などによっても、その新聞記事がいかに風聞被害を広げことにのみ役立ってしまったということがわかった。マスコミ功罪の罪の事例となった。
 ちょうど、この年の春に次男が誕生し、今年の春からは中学生という時間が13年という長さなのだと実感している。その間に大きな地震も頻発し、顕著な台風被害なども頻発していて、自然の猛威が猛々しく迫ってくる周期なのかもしれない。


 木造の研究は、皮肉にも阪神大震災のインパクトが契機になって進んでいる。客観的な指標で耐震性や耐火性、耐久性を再評価していこうという流れができた。木造を研究する研究者も増えているようだ。学会の論文数もこの時期を挟んで急増していると聞く。これはたいへん望ましい方向であり、そういった論文やその背景で行われた実験等がアカデミックな研究分野にと留め置かれることなく、実用面でも活かせるものとして木造技術の可能性が活性化していくとよい。


 木造の技術は、職人が実業の中で受継ぎながら今に至っていると考えている。ただ、どちらかというと、いままでは職人の技術は研究の対象にはなりにくかったようだ。木造研究は理屈ぬきで職人の技術に拠るところ大であるはずなのだが。


 古い街並みや民家に見られる伝統的な木造建築は、建築基準法の範疇からするとその対象になりにくい要素をもっている。法規そのものも1から10までを網羅している必要もないので、安全を前提にした裁量は当然必要な部分であるはず。ただ、姉歯に端を発した耐震偽装事件以降の流れは、法規が1から9.8までを担おうとする状況を作りつつある。法律という人間が頭の中でつくったルールで、すべてを理解できると思ってしまう錯覚がどこかにあるのか。このままいくと、そうとうに窮屈な状況になってしまうかもしれない。建築件数の落ち込みはまさにその影響を受けた。


 つくったルールどおりでないと×。この場合はルールというよりマニュアルあるいは取扱説明書みたいなもので、その通りであれば○。ないと×。という感じで、人間として判断することを極力避けようとしているのか。もしかしたら起きるかもしれない問題は目に見えないという風に考えることが最良、なんてことになりかねない。


 悲観的なことを書いたが、ルールを誰が作るかということが、実は大きなポイント。ようやく研究する対象となり研究者が増えたことにもよるのか、職人の技を生かし、木の特性を生かした技術の再評価は進んでいる。研究分野の領域から法規上のルールまで含めた実用面への転換は進みつつある。数年前に告示化した土壁の耐力や防火性能の再評価はその大きな表れ。ただ、伝統的な要素技術を網羅するにはまだまだこれからだが、そういったことへアプローチする人が増えているように思え、基本的には楽観視している。

 あれから、13年でここまで。これからの10年でどこまでになるかを見守っていくしかないのかも。(多少関わりながら・・・)



 だいぶ言葉足らずでダラダラ書いていますが、13年目にして頭の隅で考えていたことを記録しておきます。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080117-00000033-jij-soci
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2007年12月20日

木造耐力壁ジャパンカップも10年の節目

カニ道楽ならぬカベ道楽で、木造耐力壁ジャパンカップの応援ブログを書き続けているが、2007/12/1,2の二日にわたって第10回目の決勝トーナメント大会が開かれた。会場はこの大会の聖地、日本建築専門学校。
毎年、さまざまな創意工夫に驚かせられながら、強度性能もアップしつづけていて、このまま行き着く先がどこになるのかは楽しみ。
今年は、10年という節目の大会で、記憶に残る戦いが繰り広げられた。
  
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2007年09月18日

秋はカベ道楽の季節

 第10回木造耐力壁ジャパンカップ今週末はカベ道楽にとっては年に一度の楽しい時期となりました。(正確には2度かもしれませんが)
今年で第10回目となる木造耐力壁ジャパンカップの予選大会が例年通りの9月21日(金)〜23日(日)に富士宮の日本建築専門学校で開催される。今年のノミネートは29体。この中から12月の決勝大会出場の8体が選ばれる。決勝では8体しか見ることができないけれど、予選では29体もの耐力壁を見ることができ、やっぱり一番わくわくする時期といえますね。道楽といよりカベオタクかも?
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2007年06月05日

大平宿の民家の傷み具合を調べに

2007_0602_068s.jpg梅雨の到来も間じかに迫ってくる中、大平宿の民家の調査に生活文化同人の有志11名のひとりとして参加した。天気は良好で1泊2日の調査予定は無事に終了できた。

平成4年と5年の2ヵ年で当時痛み具合のひどかった民家9棟のリユースのための改修に参加したことがきっかけになって、生活文化同人では大平建築塾を毎年開催し、我々なりの「見守り」をしてきた。しかし、それから14、5年の年月は冬の自然環境の厳しさ、行政やNPOが管理にあまり手を掛ける環境づくりがなかなか思うようにいかないこともあり、見た目にはだいぶヨレヨレになってきている。床下の湿気も多いため畳床も緩くなり、表面の汚れもそのままごろんと横になるには厳しい状態。薄べりの裏返しもなされてはいないため、やむをえないのかもしれないが、ちょっと痛ましい。

3年前の大平建築塾の通算11回目(第1回)開催のときに、改修民家4棟の現状確認のための調査は行っていたが、残り3棟(2棟は平成12年に火災にあい現在は新築されている)の状況把握を残したままになっていた。ちょうど喉に魚の小骨が刺さったような感じでいたため、いづれタイミングをみてということになっていたことを今回実施できたわけだ。ようやく小骨が少しとれたというところ。今後、調査のまとめをし、報告できるところまでは行う予定。そうしないといつまでも小骨が抜けません。
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posted by 太郎丸 at 18:16| Comment(0) | 大平建築塾

2006年12月04日

日建生ジャパンカップ獲得!

木造耐力壁ジャパンカップの決勝トーナメントが終了した。初日の12月2日は午後2時から壁の計測と6体の組み立てが行われた。
この日は同時刻に、埼玉スタジアムで浦和レッズのJリーグ初優勝がかかったガンバ大阪戦があって、その試合もたいへん気にかかっていた。3点差を付けられて負けなければ優勝と断然有利ではあっても、やってみなければ分からないのがサッカー。

サッカーの試合経過は気になっていたが、目の前の壁の組み立ても秒を争う戦い。ちょっとした油断がカップを逃すかもしれない僅差の試合が予測された。詳細は太郎丸の応援blogで報告するが、トーナメント戦の勝手に予想も3点買いであれば外れなかったという結果。
 今回もいろいろドラマがあった。中でも一番嬉しかったのは、日本建築専門学校から出場した2体の壁のうち、1体が見事にジャパンカップを獲得したこと。いままで、会場の設営や運営面での協力など、彼らがいなければ大会そのものが運営できない。ようやくにして、ジャパンカップを手に入れたことは、今までの毎年の積み重ねの重みそのものだったように思う。浦和レッズの優勝もまさにJ2に降格したつらさを乗り越えて手にしたからこそ、その喜びも大きかった。共に目頭が熱くなった戦いの結果だった。

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2006年11月23日

「木の家」に住むことは「森」に住まうこと

■山の木は人が手をかけて育てている
 日本の山の杉や桧の多くは、人の手によって植えられたものです。何代にもわたって育てられてきました。しかし、植えた木が山の人たちに経済的に還元されるのは、伐採し製材されて建物に形を変えるとき。使える木になるまでには30〜50年。あるいは100年近くの長い時間がかかります。

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 今日、植えた木は、子供や孫のため。今日、伐った木はお父さん、あるいはお祖父さんの植えた木。そんな話を木を伐採する山の現場でよく聞きます。伐採した切り株を見て、年輪を数えると、70数本。これはお祖父さんが植え育てた木なのでしょうね。この植え、育て、伐るのサイクルが代々受け継がれて山が維持され、森として自然が守られているのだと思います。産業としては、いちばん時間を必要とするものでしょう。瞬時の判断で大きな取引が行われる今の時代では、林業を産業としてだけ見てはいけないように思います。続きを読む
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2006年09月13日

カベ道楽の季節到来

2005_0923_136s  例年9月のお彼岸が近づくと、カベ道楽たちはそわそわしだす季節でしょうね。木造耐力壁ジャパンカップの予選会も来週に迫ってきて、ちょうど今は壁の製作でたいへんなところではないでしょうか。
 毎年、大会の後には、来年は壁を作って参加したいものだ、なんて思ってはみるものの、なかなかそう簡単にはいかない。せめて、応援blogで自分の目で見たことを、記録として整理しておくことぐらいはやっておきたいというところがせいぜいか。

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2006年08月11日

消えるらしいガラス張りの知事室

 大平建築塾を終えた8/7に長野市内で打ち合わせがあり、高速道路で飯田から長野へ180km。ちょうど前日の6日は県知事選で3期を狙う現職田中康夫知事と竹井仁・前衆議院議員の一騎打ち。今後の長野県の進路を決する戦いが行われていた。

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小布施町で見た選挙ポスター

 
 結果は、村井氏の勝利。県政改革を進めてきた田中知事であったが、議会とのギクシャクした関係をいつまでも改善できないままの状態が続いてきたことによる嫌悪感がこういう結果を生んだのか。露出度が多かった分、マイナス要素が見えてしまったものなのか。一人相撲を取っているようにも見えていたが。どちらにしても、勝ち負けのはっきりした今回の結果の答えは、4年後といわず数ヶ月で方向性が見えてくるのではないだろうか。
大きな揺り戻し?現状ちょっと後退?予想外の前進?・・・。

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2006年04月23日

小堀遠州の作庭の頼久寺

引き続き備中高梁。
高梁川に東側から注ぎ込む紺屋川と伯備線の交差するあたりにある頼久寺の作庭は小堀遠州によるもので、国指定の名勝になっている。こういうお庭を見る機会はあまりないし、それをどうだこうだということもできないけれど、サツキの刈り込みを青海波に見立てたダイナミックな構成は、感動的。

2006_0104_051s 続きを読む
posted by 太郎丸 at 09:51| Comment(0) | 町のことなど

2006年04月08日

備中高梁

昨年末に河合継之助のドラマを中村勘三郎が演じていた。司馬遼太郎の「峠」の主人公で幕末の長岡藩家老。戊辰戦争の途中で倒れてしまうのだが、先見の明がありながら、その立場で生きていかざるをえないというところの苦悩が、司馬作品の幕末ものの中でもけっこう好きなところ。ここで、河合継之助のことを語るつもりではないけれど、継之輔が藩政改革の教えを乞うために訪れたのが、備中松山藩の山田方谷のところで、現在の高梁市。合併などもあって現在人口4万強の地方都市。連れ合いの実家が岡山で年末の帰省に合わせて、足を延ばしてみた。
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posted by 太郎丸 at 09:21| Comment(0) | 町のことなど